生きる辛さと生きる意味

友人のマンションに居候して、もう1ヶ月以上がすぎた。
まだ1ヶ月とはいえ、時が経つのがとても早い。早いとはいえ、この変わりようは中身がぎゅうぎゅうにつまっていて、吐きそうなほど。あっちゅー間にわたしの生活はがらっと変わった。


看護系短大を卒業して東京に出てきた新卒のときは、世間の何たるかがまったくわかっていなかったので、ぼーっとしていたし、その分具体的な痛みを知らないですんでいたような気がする。その分自立・自律もしていなかったような気がする。
そして田舎に帰って。田舎での生活は今までの日記のとおり。
今田舎から再び東京に出てきて。正直つらさはあるけれど楽しい。半々というところ。


学生のとき。新卒のときも。
いつも何かがつらいと感じていた。
地に足の着いていない感じがつらかったのかもしれないと今は思う。
あのころは適応しているかのようでいて、今思うと現実には適応していなかった気がするのだ。
親という存在から離れて。いつも彼が一緒にいて。
彼の目を通して世間を見て。
彼の存在に寄りかかって。彼という殻に守られた上での自分が在って。
彼に寄生して。彼を搾取して。


今思うと、すべての苦しさを彼に押し付けようとしていたのかもしれない。
彼に愚痴って吐き出せばすべてが解消すると。
彼は確かに「魔法」を持っていた。彼との時間はとても楽しいものだった。本当に。
でも、今ならわかる。そんな魔法のような人間など存在しないのだ。


彼と別れたのも、必要な変わり目だったのかもしれない。
彼なしで、環境の変化を目の当たりにしながら自分の頭と手と足を使ってそれに順応していこうとする行為は、つらくて苦しい。たまに逃げ出したくもなる。
けれどいつか、大きな喜びにつながることだろうと思う。それがどんなときなのか、いつくるのか、私には予測がつかないけれど、それを叶えるために生きている気がする。